[iha’s column] AMV/MADは偽物なのか? シミュラークルMAD論
今回は、「シミュラークル」論から、AMV/MADを見てみたいと思います。
「映画 マトリックス」は、この「シミュラークル」論にヒントを得て作られたと言われています。
「シミュラークル」は「シミュレーション」に近い言葉ですが、ちょっと違います。
非常に難しい概念ですので、私の認識も間違っているかも知れません。
長くなり過ぎるのでかなりカットもしています。
詳しく知りたい方は、ググっても殆どヒットしないので、書籍を買って下さいw
■ これをただのMADだと言ったな 認識が甘いぞ英雄王 お前が挑むのは正真正銘 アニメのまがい物だ!!
シミュラークルを、現実と模造を表す段階として考えると、
① 現実の忠実な模造
② 現実を歪めた模造
③ 現実を隠してしまうほどの模造
④ 現実と模造の対立を超越した模造(シミュラークル)
と言った所でしょうか?
この④番目の模造が、シミュラークルです。
シミュレーションとは、シミュラークルの産出過程の事であるとも言われています。
現実でもなく模造でもない、未来についての考察、産出過程と言う訳です。
① AMV/MADは、元のアニメの完全なコピーではありません。
② AMV/MADは、元のアニメを歪めた模造品ではありますが、同等の物ではありません。
③ AMV/MADは、元のアニメを隠してしまうほどの存在ではありません。
④ AMV/MADは、元のアニメと対立する物ではなく、対立を超越した何かなのではないか?
私が、シミュラークル論から、AMV/MADを見てみようと思った切っ掛けです。
シミュラークルは、元は文化人類学の用語であり、ある土地の伝統文化が廃れた後、後世の人間がそれを惜しんで復活させた「まがいもの文化」を指してもいます。
アニメの放映が終わった後で、一生懸命AMV/MADを作っている我々の行動と似ているのではないでしょうか?
つまりAMV/MADを作る行為は、失われつつある物への愛着やリスペクトと言う、人間の自然な気持ちが含まれているのではないかと思うのです。
■ これらは全て偽物、おまえの言う取るに足らない存在だ。だがな、偽物が本物にかなわないなんて道理はない!
さて、「映画 マトリックス」は作られた世界の話だった訳ですが、現実にもその様な場所があります。
よくシミュラークルの例として用いられるのですが、「ネズミーランド(仮」です。
「ネズミ―ランド」は、中世西洋の城塞都市をモチーフとはしていますが、あんな城はありえません。
しかし、「ネズミ―ランド」は、既に偽物ではなく、「ネズミ―ランド」と認識されており、逆にその偽物が大量に生まれている訳です。
例えば、長崎の「HTB ハウステンボス」も、あまり似ていませんが「ネズミ―ランド」の流れを汲むものです。
そして「ハウステンボス」は、既に「ハウステンボス」である訳です。
オリジナルと偽物の差を比べたり、考えたりするのはもう意味がない、無駄である。
高度な消費社会である現実は、既に偽物だらけであると言うのが、基本的な「シミュラークル」論の結論です。
■ 俺たちの戦いはイメージの戦いだ。おまえが描いた投影より俺の投影の方が真に迫っていたんだろう。
「ネズミ―ランド」は虚構・空想として作られた物ですが、それは現実のアメリカに存在するリアルでもあります。
つまり現実は既に虚構だらけであるので、その現実を誤魔化す為に、より大きな虚構である「ネズミ―ランド」は存在すると言う考え方が、シミュラークル論の中にはあります。
この考え方からすると、AMV/MADは、アニメと言う虚構・偽物を誤魔化す為に存在する、偽物なのではないでしょうか?
AMV/MADが存在する事により、元のアニメはリアリティを増しており、オリジナルとして存在する事が出来ているのかも知れません。
もし、同人誌などの二次創作が全くなかったら、ファン層の拡大もなされないかも知れませんが、このオリジナリティや、リアリティと言う感覚にも影響があるのかも知れません。
「ネズミ―ランド」には実は「観覧車」がありません。これは「ネズミ―ランド」の「外」を見て欲しくないからです。
AMV/MADをたくさん見て、同人誌や公式のスピンオフをたくさん見て、それ以外を見ない様にしてしまうのは、これと同じ効果があるのかも知れません。
また「ネズミ―ランド」は、「遊園地」のシミュラークルであり、「観覧車」にもそれに対するシミュラークルがあります。
「街を一望する俯瞰的視点の模造」と、「巨大な輪が回るテクノロジーの模造」です。
AMV/MADは、観覧車の様に元のアニメを俯瞰し、更なるテクノロジーを感じる事も出来る、なかなか有能な模造なのかも知れません。
■ ツギハギだらけなのは承知の上だ。だが、俺自身がまがいものでも・・・信じたものが正しければ、得るものはあるんじゃないのか。
メディアとは、ほぼイコールでシミュラークルです。
TVのニュースも映画もネットも、偽物で、幻覚で、空間でしかありません。
しかし今は、それこそがリアルで、真実でもある訳です。
本物の歴史や現実は、映像などのメディアを通し、記号化して行きます。
その、記号化こそがシミュラークルです。
記号化され、分かり易くなった現実の方を、我々は楽だから受け入れてしまうのです。
アニメはあまり何度も見返す物ではありませんが、AMV/MADは楽なので何度も見て、アニ
メ本編を見た積りになっている訳です。
これは良い事なのか微妙なのですが、真実だと思います。
我々に出来る事は、好きな作品を、様々な方法で表現し続ける事なのだと思います。
■ 例えこの心が偽者でも 信じたモノの美しさは真実だ それは偽れず・・・それだけは胸を張れる。
さて、シミュラークル論が最後に述べるべき警鐘です。
人間は「物」ではなく「記号」に反応し易いので、情報が過多になっている現在、「物」や「本質」は、どんどん薄れています。
これは「Aura(オーラ)の消失」とも呼ばれます。
「このアニメは素晴らしい」「このアニメは駄作だ」
「このAMV/MADは素晴らしい」「このAMV/MADは駄作だ」等と言う情報に流されず、
自分の目で見て、耳で聞いて、是非自分なりの感想を持って下さい。
そして自分の好きな作品を、偽らず、是非しっかりと表現して頂けたらと、そう思います。
またちょっと読みづらく、難しい話になってしまったかと思いますが、読んで頂いた皆様ありがとうございました!
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