AMVの歴史②:ファンサブテープとAMVコンテストの登場

2020-03-29Column

AMVの歴史
第1回:1980年代前期「AMVの誕生」
第2回:1980年代後期~1990年代中期「ファンサブテープとAMVコンテストの登場」
第3回:1990年代後期~2000年「ケビン・コールドウェル」
第4回:2000年代前期「AnimeMusicVideos.orgの登場」

AMVは、いつから作られるようになり、そしてどのように世界に広まっていったのか。
第2回は、1980年代後期から1990年代中期のお話です。

ファンサブテープの登場

1980年代は、日本の企業がアメリカでアニメを成功させる事は難しいと判断して、市場から撤退している状況でした。
アニメ市場の存在しないアメリカで日本アニメを入手する事は、非常に困難だったといわれています。

この頃アメリカでは、日本アニメのファンによる同好会「アニメクラブ」が各地に存在していました。
アニメクラブのメンバーは、日本にいる知人や軍人にアニメのビデオテープを送ってもらう等して、ようやくアニメを入手する事が出来ました。

彼らは、気に入ったアニメを他の人にも知ってもらう為、ビデオテープをダビングして周りのアニメファンに配布する活動を始めます。
日本から入手したビデオにはもちろん字幕や吹替が付いていない為、配布するビデオテープには、日本語の出来るメンバーが英訳した冊子が付けられていました。

英訳冊子の表紙
引用元:let’s anime

1980年代後期、「アミーガ」や「マッキントッシュ」といったPCが発売されます。
これらの機器を使用する事で、アマチュアでもビデオ上に字幕を重ねる事が出来るようになりました。

アミーガ1000
引用元:Wikipedia

アニメクラブのメンバーは、「ビデオテープのコピーを作る者」・「翻訳する者」・「字幕の表示時間を決める者」・「字幕を配置する者」等の役割を決めたチームを作り、英訳冊子の代わりに字幕付きのアニメビデオテープを作成して配布を始めます。
このビデオテープが、ファンのサブタイトル(字幕)が付いたテープ、いわゆるファンサブテープです。

ファンサブテープ
引用元:Wikipedia

このアンダーグラウンドで行われていた活動は、日本アニメの認知度を高めるきっかけの1つとなり、1990年代には、需要の高さに気づいたアメリカの企業が、日本からライセンスを取得して正式にアニメの販売を開始するようになりました。
現地のショップで手軽にアニメが購入出来るようになった事で、1990年代後半のアメリカにおける、アニメ消費の急速な拡大につながったといわれています。

ファンサブテープとAMV

ファンサブテープとAMVには大きな関係があります。
実は、AMV作成者の多くは、ファンサブテープ作成者でもあったといわれています。
彼らは、ファンサブテープ作成時、余った録画時間のスペースを埋める為に、AMVを作って追加しました。
その為、ファンサブテープの流通と共に、アニメファンの間で少しずつAMVの存在が知られていくようになります。
また、そのAMVに影響を受けて、AMVを作り始める者も現れ始めました。

AMVコンテストの登場

“Connichi 2019” AMVコンテスト
引用元:Tabimonogatari – 旅物語

1980年代には、アメリカの各地で、小規模ながらアニメコンベンション(※)が開催されるようになっていました。
※アニメコンベンション:アニメをテーマにしたイベントの事。声優やアニメーターや漫画家等をゲストにしたトークショー・コスプレ大会・歌手やバンドによるライブ等多くのコンテンツがあるが、AMVコンテストも定番のコンテンツの1つとなっている。

ファンサブテープの影響でAMVが知られるようになった事もあり、アニメコンベンションでもAMVの上映が行われるようになりました。
そして、AMVの人気が高まり始めた1992年、カリフォルニア州で行われたアニメコンベンション”Anime Expo”で、世界初のAMVコンテストが開催されました。
AMVコンテストの登場によって競争が生まれた事で、AMVの人気は更に高まっていきます。

「AMVの歴史③」へ続く

リニア編集時代のAMV

この頃のAMVも、第1回で紹介したジム・カポスタスさんと同じく、2台のVHSビデオデッキを使用したリニア編集で作られていました。
片方のビデオデッキに素材のテープを入れ、もう片方のビデオデッキに録画用のテープを入れ、録画したい部分をダビングしていく方式です。
録画したい映像を探し、ダビングして、一時停止。次の録画する映像を探し、ダビングして、一時停止。この繰り返しを頭から行わなければなりません。
もし、途中に映像を追加したい、一部の映像を移動したい・消したい・順番を入れ替えたい、となれば、その部分以降は再び素材のテープから映像を探してきて録画し直しという、想像しただけで気の遠くなるような、地道な作業でした。
ここでは、そんなリニア編集時代に作られた代表的なAMVの中から、4本の動画を紹介します。

『Girls with Guns』 – You Know Who(1990年)

『Girls with Guns』は、現在ネット上で視聴出来る最古のAMVといわれています。
「ルパン三世 カリオストロの城」や「ロボットカーニバル」のファンサブテープに収録されていた事が確認されています。

『Every Little Thing She Does is Magic』 – Bobby ‘C-ko’ Beaver(1993年)

ファンサブテープに収録されていた人気の高いAMVの1つです。
1994年に開かれた”Otakon”(※)で上映され、大きな注目を集めました。
※Otakon:ワシントンで行われている、北米における最大級のアニメコンベンションの1つ。

『Dare to be stupid』 – Lee “Lostboy” Thompson(1996年)

1996年に開かれた”A-kon”(※)のコンテスト参加作です。
歌詞と映像の完璧なシンクロで、多くの人を楽しませました。
※A-kon:北米で最も長く続いているアニメコンベンション。コンベンション名は、アニメ「プロジェクトA子」が由来。

『Gotta Keep Em Separated』 – Duane Johnson(1996年)

『Dare to be stupid』と同じく、1996年の”A-kon”参加作です。
この頃には既にリップシンク(※)が使われている事が分かります。
※リップシンク:歌とキャラクターの口の動きをシンクロさせる、AMVでよく使われるテクニックの1つ。

AMVの歴史
第1回:1980年代前期「AMVの誕生」
第2回:1980年代後期~1990年代中期「ファンサブテープとAMVコンテストの登場」
第3回:1990年代後期~2000年「ケビン・コールドウェル」
第4回:2000年代前期「AnimeMusicVideos.orgの登場」

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