AMVの歴史④:AnimeMusicVideos.orgの登場

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AMVは、いつから作られるようになり、そしてどのように世界に広まっていったのか。
第4回は、2000年代前期のお話です。

インターネットの普及とAnimeMusicVideos.orgの登場

インターネットの普及が急速に進んだ頃(1990年代後期~2000年)、アメリカのAMVエディターは、作ったAMVを自分のウェブサイト等で公開し始めました。
それは世界中のアニメファンが、オンラインでアニメに関する情報を探している中で偶然AMVを見つけるきっかけになり、AMVの存在がアメリカ以外でも知られるようになります。

そして2000年、アメリカのクリス・マコーミックさんが、「オンライン上でAMVエディターやファンが集まってコミュニケーションを取れる場所を作りたい」という考えの元、AMV専門のウェブサイト「AnimeMusicVideos.org」(以下AMV.org)を設立しました。

AMV.orgホームページ(2007年時)
引用元:AMV.cz

AMV.orgは、フォーラムを使ってユーザー同士での情報交換・交流が出来たり、作ったAMVをアップロード出来たり、AMVのデータベースとしても利用可能な為、すぐにAMVファン御用達のサイトになりました。

このAMV.orgの登場で、エディターとファンの大規模なコミュニティが形成され、AMVの人気は世界に拡大しました。

2000年代前期のAMV

ここからは、2000年代前期にAMV.orgへアップロードされた代表的なAMVの中から、4本の動画を紹介します。

『Odorikuruu』 – Aokakesu(2001年)

アニメのキャラクターが、音楽に合わせてダンスを踊ったり歌を歌ったりしているようにみせる、ダンスAMVの元祖です。
『Odorikuruu』の登場で、"Action"、"Drama"、"Fun/Comedy"等に並ぶ現在のAMV主要カテゴリーの1つである"Dance"カテゴリーが生まれました。

『Shameless Rock Video』 – AbsoluteDestiny(2002年)

アニメ「FLCL」と音楽「スピード・キング」の疾走感の融合、そして間奏でのユーモラスな音ハメで人気の高いAMVです。

『Shameless Rock Video』のように、デジタル編集技術によって映像にエフェクトを加えたAMVが作られるようになりますが、この頃はまだあまり一般的ではありませんでした。
当時のAMVコミュニティ内では、映像にエフェクトを加える事は、元々のアニメ素材の美しさを損なう恐れがあると考えられていた為です。
しかし2003年、その概念を変えるAMVが現れます。

『Euphoria』 – Koopiskeva(2003年)

アニメ「ラーゼフォン」と音楽「マスト・ビー・ドリーミング」の歌詞とのリンクも、このAMVの評価が高い理由の1つですが、なにより視聴者に深い感銘を与えたのは、曲・映像に溶け込むように全編に渡って加えられたエフェクトでした。
この革新的なスタイルはAMVに革命をもたらし、AMVシーンは大きな転換点を迎えました。
音ハメに重点を置くスタイルを広めたケビン・コールドウェルさん。そして、エフェクトを加えるスタイルを広めたKoopiskevaさん。この2人は、AMV史を語る上で欠かす事の出来ない、最も重要な人物といわれています。

『AMV Hell』 – Zarxrax & SSGWNBTD(2004年)

ZarxraxさんとSSGWNBTDさんは当時、コメディ系のAMVを多く作っていましたが、それらは数秒~数十秒しかなかった為、1つのAMVとして公開するには短すぎると考えていました。
そこで2人は、それらのAMVをまとめて1つの動画にし、『AMV HELL』というタイトルで公開しました。
このショートコメディAMVの集合体『AMV HELL』は大きな反響を呼び、続編が作られるにつれ規模も拡大。『AMV HELL 3』では、参加エディター数60名、動画本数217本、動画時間1時間越えという大作になりました。

終わりに

2000年代~2010年代は、今回紹介した方以外にも、Nostromoさん、Chiikaboomさん、qwaqaさん、Umikaさん、lolligerjojさん、qyllさん等々、AMV界に大きな影響を与えるエディターさんが数多く登場する、AMVの黄金時代といわれています。そんな2000年代後期以降の話もまた、機会がありましたら書いてみたいと思います。

という事で、「ウラMADVIDEO上映会 第51回」でお話した内容(AMVが誕生してから世界に広まるまで)を、計4回に渡って書かせていただきました。
私の拙い文章を最後まで読んで下さりありがとうございました。

<参考文献>(AMVの歴史①~④)
[1]Cinema Nippon(2017)「アニメ ファンサブの歴史」(アル訳)<https://www.nicovideo.jp/watch/sm32919623>
[2]Dana Springall(2004)「Popular Music Meets Japanese Cartoons: a history on the Evolution of Anime Music Videos」<http://hestories.info/popular-music-meets-japanese-cartoons-a-history-on-the-evoluti.html>
[3]Ian Roberts(2012)「Genesis of the digital anime music video scene, 1990–2001」<https://journal.transformativeworks.org/index.php/twc/article/view/365/293>
[4]Michael Pinto(2009)「Anime Fandom: The City of Amnesia」<https://www.fanboy.com/2009/10/anime-fandom.html>
[5]Sean Leonard(2004)「法に抗っての進歩:アメリカにおける日本アニメの爆発的成長とファン流通、著作権」(山形浩生訳)<https://cruel.org/other/animeprogress.html>
[6]Zdeněk Záhora(2009)「AMV jako videoklip a jeho vymezení」<https://is.muni.cz/th/ptgbt/AMV_BC_ZZahora.pdf>
[7]伊藤瑞子(2010)「The rewards of non–commercial production: Distinctions and status in the anime music video scene」<https://firstmonday.org/ojs/index.php/fm/article/download/2968/2528>
[8]志水鳴蛙(2019)「ファンダムの展開とファンサブ」<https://kakuyomu.jp/works/1177354054888261012/episodes/1177354054889724897>
[9]AnimeMusicVideos.org「Kevin Caldwell」<https://www.animemusicvideos.org/members/members_myprofile.php?user_id=369902>
[10]Wikipedia「Anime Music Video」<https://es.wikipedia.org/wiki/Anime_Music_Video>

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Posted by John