【iha’s column】動画制作を引退しない為の処方箋 ~欲求階層論とドーパミン~
+ 2017.2.11.修正
今回のテーマは、日頃から多くの方に御相談頂いている問題。
引退や卒業と言われる問題です。
今迄、多くの素晴らしい動画作家が誕生し、向上心も義務感も併せ持ちながら、それでも消えて行ってしまいました。
何故消えて行ってしまったのか。消えて行かざるを得ないのか。
それを予防する事は、引き留める事は出来ないのか。
何より、これを読んで下さっているあなたが消えてしまわない様にと思い、筆を取らせて頂いております。
文中、大雑把に辞める人の特徴を書いていっていますが、それには例外もあると言う事を前提として読んで下さい。
専門的な用語も多くなりますが、何か間違っていたら、こっそり教えて頂けると幸いです。
よく、辞めてしまう原因の一つとして語られるのが、「成長」や「向上心」が続かないのではないかと言うものです。
ある程度自分で納得出来る物が作れると、それ以上の物を作るのは難しく「成長」出来なくなるのです。
特に日本人は「シューティングゲーム」より、レベルアップを基本とする「ロールプレイングゲーム」が好きで、「成長」や「修行」に快感を覚えます。
成長出来なくなると、その面白さが薄れてしまうのです。
これは特に、「技術」を重視している人にありがちな症状です。
最新のパソコンを使い、高価なソフトを揃え、素晴らしい動画を真似して、一気に凄い動画を作ってしまうと、成長は急激に止まってしまいます。
素晴らしい動画を作ろうとするのはとても良い事なのですが、成長の喜びが減ってしまっていると言う事だけ理解しておくと長続きさせる別の努力がしやすいかと思います。
細かな処方箋も幾つかあります。
まず「細かい所に拘り、わずかな成長でも喜ぶ事」です。
ダヴィンチは細かな所に拘りすぎるあまり、殆どの作品を完成させる事が出来ませんでした。
細かな所に拘りすぎるのもダメなのですが、一つの解決策となるかと思います。
また「技術」ではなく「芸術」を重視すると、この問題はある程度解決出来ます。
絵師なども技術は一定レベルに達するのですが、延々と絵を描き続けられます。
それは絵の技術を上げる事を楽しんでいるのではなく、絵を描く事自体を楽しんでいるから、絵を描く事が当然となっているからです。
動画を作ると言うのは、なかなか日常化し辛いもので、気が向いた時に一気に作りがちです。
日常化は、たくさん動画を作るとか、まめに切り抜きをするとか、定期的にイベントに参加するとか、やり方は人それぞれになりますが、気が向いた時にだけ作っていると続かなくなるので必要な行為なのだと思います。
芸術には果てがなく、上もないと言う事も理解すべきです。
最も素晴らしい絵画は「モナリザ」でしょうか? それとも落札価格300億円と言われる「インターチェンジ」でしょうか?
最も素晴らしい漫画絵師は「尾田 栄一郎」や「ぽんかん⑧」でしょうか?
違います。
一時はそれらを目指していても、結局は「自分」と言う物を見つけて行かなければならないと言う事を動画作者も意識した方が良いと思います。
新しい事をやれと言うのではありません。
自分がやりたいと思った事をやれば、自然に他の人とは違った作品が作れるかと私は思います。
アメリカ人のアブラハム・マズロー(1908-1970)は「欲求階層論」を唱えました。
人間の欲求は、
第1段階 「生理的欲求」 ↑ 低次元で根源的
第2段階 「安全への欲求」
第3段階 「社会的(愛)欲求」
第4段階 「自我(承認)欲求」
第5段階 「自己実現(成長)欲求」 ↓ 高次元で希薄
の、5つの階層をなしているとしたものです。
これは「生理的欲求」に始まる、低次元の欲求が満たされて初めて高次の欲求へと移行します。
最初に成長(自己実現欲求)の話をさせて頂きましたが、実は他の欲求はそれよりも根源的であり、動画制作は、それよりも根源的な欲求によって阻害される事が多いので、辞め易いと言う事です。
一つ下の「自我(承認)欲求」は、他者から認められたいと言う欲求です。
動画はインターネットなどでの公開を前提として作られており、直接反応が返って来ます。
しかも動画制作は、マイナスの反応も多いインターネット内において、肯定的に受け入れられる事が多い物なのです。
肯定的なコメント一つでも成功体験になるのに、多い場合には、何十、何百、何千もの肯定的反応を得る事が出来ます。
普通に仕事に就いて、普通の生活をしている人間では、この様な過激な成功体験を得る事は、まずありません。
動画制作と言う成功体験は、あなたの人生にとっても、最も大きな体験になるかも知れないのです。
しかし、これはすぐに諸刃の剣であると気が付かれるでしょう。
芸術と言う物は、素晴らしい物を作っていればいつも同じ評価を得られると言う物ではないのです。
急激に評価されれば、評価されなかった時の失望も大きく、次の動画を作る気力が大きく減退する事になってしまいます。
作品の質を上げれば上げるほど、完成までに時間が掛かり過ぎると言うのも問題です。
完成しなければ評価を得られないので、この欲求が満たされないのです。
処方箋としては、「評価はなるべく気にしない」「最初から小さな評価しか望まない」「簡易な動画もたくさん作る」等があるかと思います。
次の「社会的(愛)欲求」ですが、仲間が欲しくなる欲求です。
リアルで誰にも動画を作っている事を言っていない人は、動画制作を辞め易い環境にあると言って良いでしょう。
処方箋として、リアルではありませんがコミュニティやtwitterで仲間を増やすのは、一定の効果があると思います。
オフ会は更に強固な結びつきとなりますが、男女を会わせるとリア充となってしまい、
オタク文化から卒業してしまうと言う負(?)の側面も見逃せません。
海外ではAMV.orgなどがまとめ役となっているのですが、日本では権利会社が近くにいる為、大きな団体を作る事が出来ません。
公式が歩み寄ってくれるまで、地味にコンテンツの力を付けて行くしかないのだと思います。
そして私は処方箋の一つとして、小さな「イベント」の開催はアリだと思っています。
次は権利問題に近い「安全への欲求」です。
著作権や知的財産権がニュースで取り上げられる度に、今迄の経緯を知らない新人の多くが動画制作を止めてしまいます。
動画制作は法的にはグレーどころかレッドゾーンなのですが、今ある芸術を使った編集芸術は、れっきとした芸術です。
人間の芸術的創作意欲を、法律で縛った例は幾つかありますが、基本的に現代では縛る事は出来ません。
この問題は、主にネット上にUPする事が問題とされているのです。
そして現在に至るまで、AMV/MADを作ってUPした事を理由に逮捕された人間は世界中に一人もいません。
逮捕された人間は、簡易な動画を、大量にネット上にUPした人達ばかりなのです。
歌ってみたも、実況動画も、法的には本当はアウトです。
しかし世界は、それらを認める流れになって来ています。
AMV/MADは、それらと比べると権利関係が複雑で、なかなか追いつけないかも知れません。
下手をすればアウトになってしまうかも知れませんが、その時に最初に逮捕されるのは、私の様な大量に作っている人間です。
新人の皆様は特に、私の様な者が逮捕されるまで、気にしないで作って頂いても良いかと思います。これが処方箋です。
最後は、最も低次元で根源的欲求である「生理的欲求」です。
動画制作は、凄く時間の掛かるものなので、徹夜で作業してしまう事が多々あります。
その間、飲まず食わずになってしまう事も。
これに対する処方箋は、簡単な様で非常に難しいと実は私は思っています。
それは飲まず食わず、そして寝ずに作業し続ける事が出来る魔力が、動画制作にあるからです。
細かな作業を繰り返す動画制作は、細かな成功を繰り返すと言う事であるため、ドーパミンを安定的に放出させるのだと思います。
このドーパミンこそが動画制作の魔力なのです。
ドーパミンとは、
「がんばるぞい!」 動画を作る意欲が出ている時
「うれしー!」 誉められている時
「やった!」 喜んでいる時
「素晴らしい!」 アニメや動画を見て感動している時
この4つの様な時に、主に分泌されると言われています。
他にも美男美女、好きな異性(二次元でも)を見ると、ドーパミンが分泌されます。
新しい発見(効果やカット割り)は、非常に良いドーパミン促進になります。
ドーパミンは難易度の高い達成ほど大量に放出され、快感も大きくなります。
動画制作は難易度も自分で設定できるため、自分の作れる一番上の難易度を選ぶだけで、一番上の褒美(ドーパミン)を与える事が出来るのです。
前述した通り、インターネット上で褒められたら最高です。
言い方は悪いですが、あなたがもしドロップアウトしてしまった人生の落伍者であったなら?
ドーパミンは、自分を変える事でも大量に分泌されるのです。
AMV/MADは、好きなアニメの、その中でも飛び切り好きなシーンを選び、
好きで好きでたまらない曲を、その好きなアニメにシンクロさせると言う、恐ろしい作業によって生み出されます。
しかも、大好きなシーンと、大好きな曲を、何十回、何百回と繰り返し再生しながら、作り上げるのです。
絵や音楽に感動し、一つのカットが出来る度に喝采し、自分を認め、次のカットに取り掛かる。
これを繰り返すと言うのは、実は人類が始まって以来の、恐ろしい作業なのではないでしょうか。
アニメはそもそも、記号化されたキャラクターと、過剰な演技、演出によって、深層心理に深い影響を与える物です。
音楽もそもそも、人間が文化を持った当初から、人間の心に大きな影響を与えてきた物なのです。
動画は見るだけでも相当な影響力を持ちますが、制作者に与える影響(ドーパミン)は計り知れないと言えるでしょう。
この事が真実であるのならば、動画制作が最も貢献できる分野はパーキンソン病の治療なのではないかとも考えてみました。
勿論、MAD制作が特効薬になると言う話ではありません。
パーキンソン病は、飲酒・喫煙をしない、偏食をしない、仕事中心、無口、内向的で几帳面、などの一見すると良い生活習慣によって引き起こされる事があると言われています。
これらの生活習慣には、細かな多幸感が足りないのです。
この様な人が、動画制作と言う趣味を持った時にどうなるのか?
私は非常に良い影響があるのではないかと考えました。
動画制作は新しい芸術形態であり、パーキンソン病に罹るような高齢者は現在動画制作など殆ど行っておらず、効果の確認は難しいかと思います。
もし、あなたが年を取り、パーキンソン病を罹った時、この記事を思い出して頂けたら幸いです。
また、動画制作は依存症への耐性強化も見込めるのではないかとも考えてみました。
依存症と言うと、ドラッグなどの薬物依存が主なのですが、ギャンブル依存や、
SNSなどのインターネット依存にも耐性強化が見込めるのではないかと思います。
依存症の原因の一つはドーパミンです。ドラッグなどは、直球でドーパミンの分泌を促してくるのです。
これらの代償行為として、動画制作を行うのはありなのかも知れません。
話が脇道に逸れましたが、ここから本題です。
動画制作は、ドーパミンを分泌する割に、依存性が低いのです。だから辞め易いのです。
まず依存性が低い原因の一つは、動画制作には長い時間と体力が必要であるからです。
お金を払って麻薬を打ち続けるだけ。パチンコを打ち続けるだけ。twitterで日常生活を呟き続けるだけ。この様な依存度の高い行動とは一線を画します。
また、ドーパミンを増やすには、「新しい刺激」「はじめての感動」といったものが大変有効です。
気に入ったアニメや曲が現れないと、実は自然に動画制作を卒業する事になってしまうのです。
動画制作は時間が掛かる物なので、マンネリ化し易いとも言えるかも知れません。
飽きます。本当に飽きます。残念ながら飽きてしまうのです。
この様に依存度が低過ぎて、動画制作を辞め易いと言う問題に対する処方箋としては、
「新しいアニメをたくさん見て、新しい曲を聴きまくる。新しいツールや、エフェクト、フォントなどの素材を手に入れる」そう言う努力が必要だと思います。
そして、「イベントや好きなキャラの誕生日などの目標を定め、定期的に動画を作る」のが重要かと思います。その目標に向けて、アニメや曲の素材も探すようになるので、飽き易い方には、とても有効です。
さて、ここでもう一つ大きな問題について書いて置こうかと思います。
動画制作を辞めた後、動画作家はどうなってしまうのでしょうか?
他で同じ様な快感を得ようと思ったら、方向性の転換が必要です。
恐らくは、ネットで多数の人に褒められる動画制作とは真逆。
一人の人を愛しきると言う物が真っ先に浮かびます。
動画制作と真逆だからこそ、そのドーパミンの質を比較せずに済むのです。
成功すれば、あなたの人生は結婚と言う人生のゴールの一つに辿り着きます。
おめでとう!w
それとは逆に辞めた後の動画作家が、戻って来る事があります。
動画制作の時の様なドーパミンを他では得られないのですから、当然なのかも知れません。
これは一発屋の漫画化や芸人が、もう売れないのに同じコンテンツに戻って来るのと同じ原理なのかも知れません。
辞めた作家が戻って来ても、実は前と同じ様に上手く行く事は少ないです。そして、また消えると言う事を繰り返しがちになります。
前述した様にドーパミンは新しい刺激を求めますので、過去と同じ方向ではもうドーパミンを得られないのです。
あなたが復帰組である場合の処方箋は、「技術力を高める」「以前の繋がり以上のコミュニティを持つ」「売れているジャンルに移行する」等があるかと思います。
最後になりますが、アブラハム・マズローの「欲求階層論」には続きがあります。
マズローは晩年、5段階の欲求階層の上に、更にもう一つの段階があると発表しました。それは「自己超越」という段階です。
これは「目的」の遂行・達成だけを純粋に求めると言う物だそうです。
見返りも求めずエゴもなく、自我を忘れてただ「目的」のみに没頭し、
何かの課題や使命、職業や大切な仕事に貢献している状態だと言います。
この階層に到れる人は、ほんの僅かです。
貧困に喘ぎ、一段階目の「生理的欲求」さえ満たせない後進国の人々では、よりこの階層に到るのは難しいでしょう。
この段階に到る人の多くは、政治家や教師、実業家になると言われています。
とても難しい段階ですが、この段階に到る人間がいないと、実は社会が回らないと言われるほど重要な段階です。
動画コンテンツにおいては、実はこれは動画制作をするのではないのだと思います。
他の動画作家に作り方を教えたり、合作を主導したり、生放送をしたり、コミュニティを運営したり、イベントを開いたりすると言う物だと思うのです。
あなたの才能に合わせた、あなた独自の道を模索する必要があります。
この6段階目は非常に難しく、達成も出来ず、見返りが得られることは本当に稀です。
成功が難しいのに、成功しなければドーパミン上昇も得られません。
私はイベントを開いたりしているのでこの段階なのかと思われるかも知れませんが、正直私では足りないと自分で思います。
5段階全ての階層をクリアして、現在動画制作を行っているあなた。
特に動画制作に飽きてきて辞めたいと思っているあなたには是非、この6段階目を目指して活動する事をお勧めしたいと思います。
新たな刺激と、大きな活動である為に起こるゆっくりとしたドーパミン上昇、そして成功した時の大きなドーパミン上昇は、きっとあなたを満足させる事でしょう。
■ 総括
動画制作、特にAMV/MAD制作はファン活動である為、見返りを求めてはダメな物だと思います。
しかし、それは金銭的な物に対してであり、精神的な物はある程度必要です。
作った見返りとして、喜ばれたいとか、褒められたいとか、その様な感情が生まれるのは当然の事なのです。
その様な感情があるからこそ、努力できるのだと思います。
ただし、その様な感情ばかりが増大すると、自分の事ばかり考えて、視聴者の事を忘れがちになります。
そうなってしまうと、その作品は評価されなくなってしまい、ドーパミンは得られません。
ドーパミンを得たいのに得られない状態の人は、非常に動画制作を辞め易い状態になります。
まず、あなたが訴えたい視聴者は誰なのか? 大勢なのか、少数なのか?
大勢に訴求するなら、大きなドーパミン上昇が得られるかも知れませんが、期待が大き過ぎると失敗した時のダメージも大きいときちんと理解してチャレンジして下さい。
少数に訴求するなら、小さなドーパミン上昇しか得られない事を最初に理解した方が良いと思います。そしてあなたの貴重な時間を大量に消費して良いのか、一度考え直してみて下さい。
大勢に訴求するならば大きな努力をして、長期的なスパンを見て下さい。
少数ならば、フットワークも重要です。時期を逃すと、その少数は別の物を求め始めるかも知れません。
大勢である一般的な視聴者は当たり前ですが新しいアニメ作品の動画を喜び、古いアニメ作品の動画など見てくれないでしょう。
しかし年長者ばかりが集まる小さなコミュニティのイベントに参加するのなら、古い作品ほど喜ばれます。下手をすれば新しいアニメなど、批判の対象でしかないかも知れません。
総合力を競う動画大会に挑戦するなら、技術力も見せなければ評価が下がるのは当たり前です。
逆に、一発ネタで勝負できる場所、ニコニコランキングなどでは、技術力はそこまで必要ではないかも知れません。旬である事の方がきっと重要でしょう。
あなたの訴求したい視聴者は誰なのかきちんと理解し、ミスマッチを防ぐのはとても重要だと思います。
最初にここを見誤ると、どんなに努力をしても、望むドーパミンが得られなくなるのです。
好きな動画を作ると言う急激なドーパミン上昇、褒められた時の急激なドーパミン上昇、そして他者の為、コンテンツの為と言う緩やかなドーパミン上昇。
それらを上手く組み合わせ、上手にドーパミンを得て行く『バランス感覚』こそが、動画制作を長く続けるコツなのだと思います。
他にも、動画制作を続ける上で、大切な事はたくさんあるかと思います。
皆様の「処方箋」を教えて頂けると幸いです。
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