【iha’s column】AMV/MAD は、世界の中でどの様な役割を持っているのか? - Is an AMV/MAD necessary in the world –

2016-11-02Column

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この度、AMV-JAPAN.org で、コラムを連載させて頂く事になりました、いは(英語表記:iha)です。
この様な場所で、私のコラムなど需要があるのか分かりませんが、宜しく御願い致します。

連載と書きましたが、別に投稿日が決まっている訳ではありません。
自分を追い込むために「連載」と書かせて頂きました。

「なるほど。この程度のダメな人なんだな」と思って頂けると幸いです。
ニコニコブロマガ等で、私のコラムを読んだ事のある人もいらっしゃるかも知れません。
同じ内容を、ニコニコブロマガにも投稿するかとも思います。

ここではAMV/MADに関係がある話しか基本致しませんが、政治や犯罪などの、賛否の分かれる危ない話もするかと思います。
両論併記は致しません。全て私の個人的な意見である旨、御了承下さい。

出典・詳細・敬称などは略している事が多く、画像なども拾い物が多いです。
出典を知りたい、用語が分からない等は、申し訳ありませんが、まず調べてみて下さい。

逆に、誤字など気が付いた事がありましたら、こっそり教えて頂けると助かります。

記念すべき第1回は、私の考える「AMV/MADとは、何なのか?」と言う、基本的なテーマで行かせて頂きます。
宜しく御願い致します。



AMV/MAD は、世界の中でどの様な役割を持っているのか? - Is an AMV/MAD necessary in the world –


人間は言葉を生み出し、絵画音楽と共に歩んで来ました。

いつしか人は演劇を楽しむようになり、映画が生まれます。
TVレコードの登場により消費の形態も大きく変わりました。

漫画アニメも、そんな人間達の文化の一つとして生まれます。

絵画や音楽が芸術である事に異論を挟む者はいないでしょう。
漫画やアニメも、まだ根付いてこそいませんが紛れも無い芸術なのです。

芸術はドイツ等では「Kunst(クンスト)」と呼ばれる様に、「人工」「技術」と言う意味も持ちます。
人間は、美しい景色を見た時の様な感動を、この技術の中に見出して来たのです。

現在、新海誠監督作品の「君の名は。」と言う映画が興行成績200億円、邦画市場歴代2位に躍り出ようとしています。
「君の名は。」の魅力の一つは、ただ美しい景色を見せるだけでなく、アニメーションと言う動く絵画、演技とストーリー、そして音楽を共に見せる事にあります。

これは、芸術としてのある種の到達点ではないかとさえ私は思うのです。

TVゲームは、この「芸術」に受け取り手である私達が手を加える事の出来る、新たな到達点になりえる可能性があるとも私は思います。

もう一つの新たな到達点が、「AMV/MAD」です。
ゲームがプレイヤーに長大な時間を消費させるのとは違い、AMV/MADは作るのこそ時間が掛かりますが、短い時間で消費出来るという点ではゲームより上ではないかとさえ感じます。

AMV/MADは、実は「君の名は。」にも少し関係して来ます。
AMV/MADを作った事のある人達の多くが、「君の名は。」を見た時に感じた筈です。
これは監督である新海誠の、「セルフAMV/MAD」であると。

映像と音楽、演技とストーリー、それを組み合わせる「君の名は。」の演出の文法は、映画ではなく「MusicVideo」のそれであると、「AMV/MAD」を知らない自称評論家達さえ気が付きました。
MusicVideoよりもストーリーを重視し、PVとは違いそれだけでも完結するであろうその文法は、我々の目から見ると明らかに「AMV/MAD」でありました。

新海誠は一人で「君の名は。」を作っているのではありません(新海誠の場合、一人でも作りかねませんが) 監督と言うのは、編集芸術の極みでもあるのです。
私達、市井の者が新海誠と同じ頂点に立つ事は出来ませんが、同じジャンルで、芸術を作りだす事が出来ると言うのは、それだけでも十分に凄い事です。

短い時間の中に映像と音楽、そしてストーリを詰め込み、インターネットを用いて世界中で共有出来る最新の芸術形態。
これこそが「AMV/MAD」であると私は思います。

私がAMV/MADを作り始めたのは、リニア編集の時代です(動画編集ソフトが一般的でなくビデオテープで編集が行われていた時代)

私はMADなどと言う物が存在すると言う事も知らず、自分のイドリビドーと呼ばれる物に従って作り上げただけです。
これが何物かも良く分からない時代には、バン○ムで私の作品が流れていた事さえあります。

この頃、いやこの少し前から、世界中で同じ事を、多くの人々が行っていました。
海外ではそれらが「AMV」となり、日本では「MAD」と呼ばれる様になりましたが、誰が始めた物か、もう分からないくらいの人たちが、この時代に似た様な事を考えたのです。

「時代の必然」そう呼んで良いかと思います。
AMV/MADも、いつしか新たな芸術にその場を追われるかも知れません。
今すでに、ゲームにその立場を追われつつあるのかも知れません。

しかし、世界で同時多発的に起こった、この芸術形態は、そう簡単に終わる訳がありません。
私は「再生」を謳ったが故に、中世からの脱却に一役買った「ルネサンス」の様な事が、今起こっているのだとさえ思っています。

人類史は、ある一つの点で変わってきた訳ではありません。
ネットは、人類史と同じ様な、全てが影響し合う、波の様なうねりの中にあるのです。

人間は、AIネットと、どのような関係を構築し、次代に繋いで行くのか?
そのカギの一つが、ここに、AMV/MADにあると私は考えています。
全てのAMV/MAD職人さん。
あなた方は芸術の分岐点に立っています。

人間の心を、
人間の文化を、
人間の新たな可能性を、

あなた方が作っている事を、どうか忘れないで頂きたい。

あなたの作品は、半永久的にネットの中に残り、これからの人類を左右する作品になるかも知れないのです。

ルネサンス期のダヴィンチの様な、その最高の一作にはなれないかも知れません。

しかし、あなたの作品が次の時代に僅かなりとも影響を与えていると言う事は、間違いないのですから!

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Posted by いは